口唇口蓋裂を持って産まれてきた娘には3歳の兄がいます。
兄は兄で心疾患を持って産まれてきたのですが、こちらは幸いにも症状がどんどん改善し、手術はもちろん治療という治療も今は一切行なっていません。
毎日スクスクと大きくなってくれていることを嬉しく思いつつ、元気に「お父さん」と呼んでくれることにこれ以上ないほどの幸せを感じています。
ですが、娘が産まれると今まで息子に向けていた視線や気持ちは、夫婦ともに娘にも向ける必要があります。母親である妻は当然ですが、僕も娘が気になり、コミュニケーションが取れ始めた息子には知らず知らず我慢をさせている気がします。
というのも、今まで1人で頑張ってできていたことを「お父さん一緒にやろうよ」と声をかけてきます。
- 手洗い(一緒に)
- トイレ(おしっこ)
- 食事(食べさせて)
- 遊び(娘が産まれる前よりも声が明らかに大きい)
- 歯磨き(始めるまでの時間までウダウダするように)
- 寝る(ずっとテンションが高くなかなか寝ない)
と思いつくだけでもこれだけあり、親(大人)が自分を見ていない時間が長くなったことに気づいているのではないかと思います。
そこで目を引くために自分なりにアピールしているのかと…。
妹を大事にできなかった僕の話
「娘が産まれても僕は娘よりも息子をめいいっぱい可愛がろう」と産まれる前は考えていました。
ダウンタウンの浜田さんが2人目の子供が産まれた後、長男が寂しい思いをしないよう、次男の前では一度も抱かなかったという話を聞いて、「僕もそうしよう」などと呑気に構えていました。
というのも僕には妹がいるのですが、長い時間妹を毛嫌いし、イジメていました。
その理由はおそらくですが、「親を妹に盗られた」と思っていたのではないかと思います。
印象に残っている出来事が2つあります。
一緒に寝れる嬉しさではしゃぎすぎ骨折
僕はいつも祖母と一緒に寝ており、妹は父と母と離れで一緒に寝ていました。僕も一緒に寝たいとどれだけ言ってもなぜだかダメだと言われていましたが、ある日「いいよ」と言われて喜んではしゃいだようです。
寝室にあったコタツ机から「ライダージャンプ!」と着地に失敗し、腕を骨折してしまいました…。
「一人っ子みたいだね」
習い事で少林寺拳法をやっていたのですが、ある日、大会か昇給試験で自宅からは随分離れた会場へ父に送ってもらったときのことです。
お昼休憩のときに、父は母と一緒に会場に来てくれて近くの中華屋で3人でお昼を食べているときに僕が「一人っ子みたいだね」と嬉しそうに話していたそうです。
なんと言ったかまでは母に聞くまで忘れていましたが、「父と母を独り占めしている」という嬉しかった感情は今でもよく覚えています。
この話をしながら母は「もっと大事にしてあげればよかった」と言っていました。
ただ、虐待などを受けていたわけでもなく愛情も感じていました。でもかまって欲しかったという気持ちは40歳になってもまだ消えません。
ちなみに、父と母が妹ばかりにかまっていた理由ですが、妹が産まれたときにその時母親が入っていた宗教(?)の教祖のような人に「この子は長生きしない」などと言われ、それを真に受けて大事に大事に育てたとのことでした…。
確かその人、僕が産まれた時も「この子は大事に育てないとダメだ」と言ったそうなのですが…。
親の育て方を見てそう言わないとと思ったのか、何かの利害関係があってそう言ったのかは分かりませんが、宗教って…とがっかりです。
ですので、僕が妹を毛嫌いしていたのは「ヤキモチ」だったのではないかと思い、息子にはそんな思いをさせないようにしないとという決意でした。
(ちなみに妹とは今は仲がいいです。)
抱っこしないなんてあり得ない
娘を抱っこしないで息子にかまう…。
全く無理でした。
数日でギブアップです。
娘は口唇口蓋裂なので、母親から直接母乳を飲むことができません。
搾乳し、哺乳瓶に入れる必要があり、搾乳の量によってはミルクを足す必要があります。
それ以外にも色々とやることがあり、母親が娘にかける時間は半端じゃなく、到底1人でこなせるものではありません。
妻の睡眠時間を出来るだけ確保できるよう、ミルクをあげたりオムツを変えたり、泣いているのをあやしたり。抱っこしないなんてあり得ません。
お風呂に入れるのは僕の役割ですし、家事もできる範囲でやっています。
そうなると、息子と向き合う時間がどうしても少なくなってしまいます。
思わず叱ってしまう自分に自己嫌悪
最近では「お父さん、お父さん」と2回続けて呼ぶことが息子の中でセットになっているようで、しかも2回目は「こっち向いてよ!」という気持ちの込められたちょっと怒り混じりのイントネーションで呼ばれることを少々不快に感じてしまいます。
「ちょっと待ってって言ってるでしょ!」
と思わず声を荒げることも増え、僕の中で「甘え」や「わがまま」で処理しようとしていることに自己嫌悪です。
欲しいものは愛情なのでは?
例えば仕事をしているとき、息子はしょっちゅう「抱っことギュして欲しい」と来ます。
これに対して僕は、可能な限り抱っこします。
よっぽど切羽詰まっているときでもない限り滅多に叱ることはありません。
息子が仕事を邪魔してやろうと来るのなら「叱る」でいいと思うのですが、かまって欲しいというのは「愛情」が欲しいということではないかと思います。
それなのに「叱る」という息子にとって全く予期せぬ感情をぶつけるというのはどうもバランスが悪いというか、要領を得ていないというか、的外れではないかと。
子供の世界は狭い
子供はまだまだ狭い世界の中で生きています。保育園や幼稚園に通っていない息子にとって身近な人間は妻と僕の親2人だけ。たった3人の世界です。
その2人が小さな妹ばかりを見ていたら…と思うと寂しくないはずがありません。
また、まだまだ感情を表現する幅が狭い息子にとって「かまって欲しい」と言葉にするのは難しく、大きな声を出したり走り回ったり、ご飯を食べさせてと言ってみたり、手探りでどうにか振り向かせようとします。
それなのに、愛情が欲しいだけなのに叱られる。どう考えたって不条理です。
息子にたくさん愛情を注いであげれば、溢れかえった分はきっと妹に自分の分も足して注いでくれる。そう思っていたのに全くできていません。
大きくなったとはいえ、言葉が通じるようになってきたとはいえまだ3歳。
手を見ればまだまだ小さく大事に大事にしないといけません。
「お父さん」と呼んでくれることを当たり前に思うようになった僕。
あの気持ちを思い出さないといけません。
息子は僕にとって、僕たち夫婦にとって宝物です。


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